Japon y el agua (JP)
水の存在
現代日本美術における水の存在: 
アーティスト池谷友秀をめぐって 
アレハンドラ・ロドリゲス・クンチージョス
サラゴサ大学
春の海 終日(ひねもす)
のたりのたり哉 
—与謝蕪村(1716–1784)


 自然を愛で、それを芸術のなかに表すことは、日本において常に一貫した営みであった。歴史を通じて数多くの日本の芸術家がこの主題に取り組み、とりわけ水のさまざまなふるまいを、人間とこの物質との共生を描く場面を通して表現してきた。¹
 この意味で、水は多くの優れた詩人たちにも霊感を与えた。本稿の冒頭に掲げた俳句で水の表情を描いた蕪村(与謝蕪村、本姓谷口。摂津1716年―京都1784年〔原文は「1715年―1783年」。訳注A〕)もその一人である。同様に、ほかの芸術分野にも、文化に深く根ざしたこの主題を取り上げた日本の作家が数多くいる。よく知られた例が葛飾北斎(江戸1760年―江戸1849年)であり、彼は《富嶽三十六景》のうち《神奈川沖浪裏》を制作した。おそらく日本美術史全体のなかでも最も有名な作品のひとつであろう。いまにも舟人たちの上に崩れ落ちようとする波頭は、自然の力、その暴力性、そして人間には制御しえないことを示している。
 日本が環太平洋火山帯の一部であり、地震と火山活動がきわめて活発な地域に位置していることを念頭に置かねばならない。そのため揺れは頻繁に起こり、その結果として津波が生じる。こうした理由から、この版画は日本という国の地質そのものの表現となり、同時にこの国のシンボルともなった。
現代日本社会もまた自然との密接な近さを示し続けており、その美的価値に対する特別な感受性を保っている。
この関係は現代美術にも現れ、水は今なお霊感の源であり、作品を成立させる媒体であり、あるいは作品の主役でもある。
この点に注目すると、1945年以降²の美術において、多くの芸術家が制作過程のなかで、あるいは主題として、しばしば水を用いていることがわかる。
その一例が元永定正(三重県1922年―神戸2011年)であり、彼は1956年、芦屋の公園で開催された具体グループ³の野外美術展に《作品(水)》を出品した(Munroe, 1994: 83)。これは色水を満たした一連のビニールシートからなるインスタレーションで、当初は公園の木々のあいだにハンモックのように吊るされた。
重力によってビニールがたわみ、水が下部にたまる。そこに陽光が差し込むと、水は一日を通して表情を変え、吊り下げられた宝石のように見えたのである。
 今日の美術界でよく知られ、水を作品の主役とするもう一人の芸術家が、海景を主題とする杉本博司(東京1948年)である。1980年代から杉本は海と空を撮り続けており、最も有名なシリーズのひとつが《海景(Seascapes)》⁴である。杉本は地球上のさまざまな地点からこの原初の風景をとらえ、静けさと禅の精神性を伝える。自然の本質をとらえようとする、きわめてコンセプチュアルな写真である。
 また1998年、宮島達男(東京1957年)は、日本の直島にある古い民家(「角屋」)⁵で《Sea of Time ’98》と題するインスタレーションを制作した。彼は母屋の床に水を張り、その中に1から9までを数えるLEDデバイスを配置した。この計画には地元住民125人が参加し、それぞれがカウンターの速度を好きなように設定した。この作品が伝えようとするメッセージは明快である。時間は私たちすべてをつなぎ、水もまた同じように私たちをつなぐ、ということだ。
 さらに、ジュン・グエン=ハツシバ(東京1968年)は、水中を舞台としたいくつかの映像インスタレーションを手がけている。その一例が2003年の《メモリアル・プロジェクト・水俣:Neither Either Nor Neither――ア・ラブ・ストーリー》である(Galán, 2008: 135)。この作品では、日本の水俣の汚染⁶が象徴的に参照され、一方では地域の民間伝承の重要性が、他方では進歩のもたらす帰結が浮き彫りにされる。この作品においても、また他の作品においても、水は異なる国や文化のあいだに地理的な関係を結ぶ役割を担っている。作家自身、海を通じて自らの日本とベトナムのルーツを結びつけているのである。
 同じく、冒頭で挙げた《神奈川沖浪裏》を想起させる作品として、池田学(佐賀県1973年)が2008年に制作した《予兆(Foretoken)》がある(Ikeda, 2008: 30)。池田は、ときおり日本を襲う巨大な波に着想を得た。それは、水が行く手のあらゆるものを押し流した2011年の東北地方太平洋沖地震を予兆するかのような作品であった。ここでもまた、日本における水とその重要性が美術のなかにはっきりと示されている。
 波の場所である神奈川とつながるかたちで、本稿が取り上げる日本の芸術家、池谷友秀⁷を位置づけなければならない。1974年〔小田原市生まれ〕、本州の関東平野南西の隅(東京と富士山のあいだ)に位置し、海に面した比較的小さなこの県に生まれた彼が、水や、そこで生じるさまざまな環境現象と身近であったと考えるのは不思議なことではない。
 現代美術の世界の多くの芸術家とは異なり、池谷は通常の美術教育を受けてはいない。しかし幼少期から漫画、アニメ⁸、日本映画に関心を抱き、その趣味は思春期にいっそう強まった。1990年代には飲食業、具体的には日本のイタリアンレストランで働いていた〔1992–1999年、料理人として。訳注C〕。⁹ 2000年〔原文は「2001年」。訳注C〕に写真家として修業することを決意し、東京綜合写真専門学校(Tokyo College of Photography)¹⁰で写真を学び始めた。
[
 ここで想起すべきは、日本の現代写真が、東松照明、細江英公、森山大道、荒木経惟をはじめとする20世紀・21世紀の偉大な写真家たちを擁し、世界的に高く評価されていることである。それゆえ、多くの日本人がこのメディアに関心を寄せるのも不思議ではない。池谷はこの分野に深く分け入るにつれ、アーヴィング・ペン、リチャード・アヴェドン、ニック・ナイト、ピーター・リンドバーグといった西洋の作家たちを少しずつ知っていった。彼は彼らを敬愛し、その痕跡が自らの作品に残されていることを自覚している。¹¹
 2001年、池谷は写真学校を修了し〔原文は「それまでの仕事を辞め」。レストランは入学時に退職している。訳注C〕、写真家・高崎勝二のもと、写真スタジオCARATSにアシスタントとして入った。高崎(東京1947年)は1976年に自身の写真スタジオを設立し、1990年10月に社名をCARATSに改めた。高崎は日本の都市、とりわけ京都と奈良の美をとらえる手腕で世界的に知られている。また日本と米国の商業写真の分野で最も求められる作家の一人であり、米国ではハリウッドの国際的スターとの仕事も依頼されている。¹² 高崎のもとで池谷は、カメラやライティングの扱い、つまり主に技術面を磨いた。
 しかし1年後、ある出来事が池谷に職業上の進路を考え直させることになる。スキューバダイビングをしていたとき、彼はカメラを手に海底を撮影している一人の写真家を目にした。池谷は同じことをしたいと感じたが、それは記録的な意味においてではなかった。彼が惹かれたのは、水の中でイメージをとらえ、そこから一つの言説を生み出すことだった。あるインタビューで、彼はこの体験を次のように語っている。「偶然ダイビングに誘われ、その水中世界を見たとき、たちまち心をとらえられました。水の中にしか存在しないさまざまな現象や生命のかたち、そして水と光の美しい戯れが、強烈な高揚感と感動を与えてくれたのです」(Ikeya, 2013)。この問いについて思索を重ねたのち、彼はフリーランスの写真家として活動を始めた〔2002年。訳注C〕。本研究にとって池谷の作品が真に興味深いものとなるのは、このとき以降である。
 こうして池谷は、自らの文化に深く根ざしたこの主題――水と人間――を作品に取り込み、現代的な支持体と技法によって私たちに提示する。それこそが彼の作品の主軸である。彼の写真のなかで、この二つの要素は完全な共生のうちに道を交え、《WAVE》《MOON》《BREATH》として知られる三つのシリーズの主役となっている。いずれのシリーズでも池谷は、水に対する人間の「コントロール(制御)」という概念とその喪失を問い、人間のさまざまな反応を探っている。しかし、そのどれにおいても、彼の作品を特徴づける優雅な美学と詩的感覚が手放されることはない。
 創作プロセスについていえば、池谷は次のように制作に取り組む。まず、スケッチやその他の媒体を用いて、制作する作品を綿密に計画する。ただし、現場で生じうる変化には開かれている。作品のいくつかは深い水槽の中に潜って制作され、特定の状況に対するモデルの自発性や反応はきわめて多様でありうることを思い起こさねばならない。そしてそうした結果こそが、たいてい最も興味深いものとなる。したがって池谷は常に一つのアイデア、ヴィジョン、テーマから出発し、それを、つねにそこにある偶然と釣り合わせようとする。これらの写真を撮るために、作家はできるかぎり少ない道具で水に入る。モデルと同じ条件に立ち、水中にできるだけ長くとどまって撮影を行うためである。これが彼の芸術的アプローチであり、作品を生み出す方法である。コンセプトの面では、水と人間のあいだに存在する絆を浮かび上がらせようとしている。アーティスト・ステートメントにおいて、池谷はこう述べている。
 私は「コントロール」というコンセプトを作品の軸に据える写真家です。水は、人間が決して制御できない「制御不能な」ものの一つです。 趣味として各国でスキューバダイビングをするなかで、私は「水」について考える多くの機会を得ました。 水中から見上げる陽光の美しさ、水生生物たちの日々の営み、そして人間である私は、ほんのひととき彼らの世界を垣間見ることしかできない……。 たくさんの装備をそろえ、水中の危険に備えれば、人間は水をコントロールできると私たちは考えていました。しかし人間は決して水の中では生きられません。そしてまた、水なしで生きることもできないのです。 水は生命を与えるだけでなく、生命を奪いもします。一方で、水は創造の母でも破壊の主でもなく、ただ「水」としてそこにあるだけなのです。 ただの「水」であってさえ、水はきわめて哲学的な存在です。私はますます水に魅了され、それを表現したいという情熱を抱くようになりました。 それが写真家になった理由の一つであり、以来ずっと水にかかわる作品を制作しています。 私は水と人間の姿を通して、写真によって「生への渇望」を表現しています。¹³
※原文ではこのステートメントのみ英語のまま引用されている。
 先に述べたように、池谷はこれまでに三つの主要なシリーズを制作してきた。第一は《WAVE(波)》であり、2007年のインターナショナル・フォトグラフィー・アワード(IPA)広告(セルフプロモーション)部門で第1位を受賞し、2008年にはPX3(Prix de la Photographie Paris)「WATER」コンペティションで佳作(Honorable Mention)に選ばれた〔原文は「受賞」。訳注D〕。¹⁴ このシリーズの写真には、先に述べた人間と水との闘いが現れている。ここでの人間は、海がその流れを続けることを阻む障壁、障害物である。しかし同時に、人間は自然の一部になろうともしている。抵抗と統合である。このシリーズは次のように解釈できるだろう。人間は日々の生活のなかで直面する問題に立ち向かおうとし、ときにはそれに打ち負かされる。
社会のなかで個人がこうむる暴力のメタファーであるといえよう。¹⁵ さらに、そうした「波」すなわち障害に抗うか、あきらめるかを左右する別の要因もある。各人の強さや弱さ、心の状態、性別、年齢などである。 

 一方、池谷は《MOON(月)》シリーズも制作している。これは生と死への賛歌である。この作品でも水は存在し、作品の創作的かつ詩的なプロセスの一部をなしている。月の満ち欠けは潮の干満に影響し、地球上の生命の発達をも促す。このシリーズには次の言葉が添えられている。「月に照らされた暗い夜は、生と死の混ざり合いを内包している。/新たな生を受け取る身体の可能性」。¹⁶ 前のシリーズとは異なり、これらの写真は計り知れない静寂を伝え、見る者に不穏な感覚を呼び起こす(Fig. n.° 4).
あわせて、このシリーズでは髪が根本的な役割を果たしている。髪は、その人が命を失ったあとでさえ、長いあいだその人に残り続ける。したがって髪は、死後の生の連続性を象徴するだろう(Fig.no.5)。
また、日本の想像力において髪がもつ重要性、そして髪を用いてモデルに施される縄掛け(緊縛)も見過ごすことはできない(図6)。池谷は、自らの作品が神道から強い影響を受けていることを認めている。周知のとおり、神道では神聖とされるものを区切るために縄(注連縄)が用いられる。¹⁷ また日本には「縛り」と呼ばれる伝統的な縛りの芸術がある。この実践は、よく知られた日本の写真家、荒木経惟(東京1940年)の作品に見いだすことができる。荒木はしばしば、この日本の伝統的な縛りの技法によってモデルを配した作品をつくっている。荒木が池谷の作品に及ぼした影響はそれにとどまらない。荒木の作品と同じように、そこには生と死の対話が存在するのである。
それでもなお、イメージはいかなる瞬間にもその優雅さと繊細さを失うことがない(図6)。このシリーズは2012年のインターナショナル・フォトグラフィー・アワード(ピープル〔その他〕部門第2位)を受賞した。(Fig.no.6)。

  三つ目のシリーズが《BREATH(息)》である〔原文は「三つのうち最も新しい」。実際には《WAVE》の続編として2008年に始まり、《MOON》(2011年~)より先行する。訳注B〕。このシリーズにより、池谷は2008年のPX3「WATER」コンペティション佳作、2009年のインターナショナル・フォトグラフィー・アワード(ピープル〔その他〕部門第1位、スペシャル〔ムービング・イメージ〕部門第2位)、2010年のXto Image Award(Body in Nature部門第1位)、2010年のPX3(ファインアート〔ヌード〕部門第2位)、そして2014年のモスクワ国際写真賞(写真集『BREATH』でブック〔ファインアート〕部門銅賞)を受けている。これらの作品は、私たち自身によって制御される人間の生命活動である「呼吸」に焦点を当てる(図7)。池谷は呼吸を可視化しようとし、水という環境のなかでそれを実現する。ある雑誌のインタビューで、彼はこの作品の重要性を次のように説明している。
「呼吸は私たちにとって不可欠なものです。生きているあいだ絶え間なく繰り返され、そして私たちは、呼吸が止まる時点を死とみなします。ふだん呼吸は目に見えず、私たちがそれを意識することはないのだと思います」。¹⁸ 無数の泡が、息をまったく鮮明に見せてくれる。
 同様に、水の下では、人間が生きるあいだにとる態度がはっきりと表れる。生きたいと願いそのために闘う者もいれば、目の前に現れるさまざまな状況に身をまかせる者もおり、ただ身を投げ出してしまう者もいる(Mur, 2017)。あるインタビューで、作家は私たちにこう語った。「人は生きるあいだに、あらゆる種類の問題に出会います。たとえ誰かが、自分の手で何かをすることを妨げている壁を打ち壊したとしても、それで私たち自身の限界の根本的な本質が変わるわけではありません。そうした限界もまた、『生きる』ことの一部なのです」。¹⁹
 こうした成果を得るために、作家は日本の舞台芸術、とりわけ暗黒舞踏²⁰を援用している。そのため、彼のモデルの何人かは、状況を極限的なかたちで表現しようとするこの現代舞踊のダンサーである(Beville, 2010)。それゆえ写真には、きわめて強い短縮法による身体、引き裂かれるような身振り、あるいはきわめて本能的な反応を見いだすことができる。モデルたちは人間の最も深い恐怖を明るみに出そうとする。被写体たちはこうした状況を限界ぎりぎりで生きる。水中に沈められているために、恐れがいっそう強く湧き上がるからである。とはいえ、人々のあいだに生じる反応はさまざまでありながら、彼の作品は、形態においても構図においても、計り知れない官能性と美しさに刻印されていることに変わりはない(図9)。
 
 あわせて指摘しておくべきは、これら三つのシリーズのほかにも、池谷はファッションの世界にかかわる写真作品を手がけており、作品《Nude Jewelry》によって2009年のインターナショナル・フォトグラフィー・アワード広告-カタログ部門で第2位を受賞したこと〔原文は「Nude Jewelry賞」。訳注E〕、またTrusTrickなど日本の音楽グループのミュージックビデオも制作していることである。
現在、池谷友秀は東京のギャラリー小暮²¹とミュンヘンのMicheko Galerie²²に所属している。いずれも日本の現代作家を専門とするギャラリーである(所属作家の90%以上)。後者はさらに、21世紀の日本美術とヨーロッパのコレクターとの架け橋になることを基本理念としている。その目標は、日本国外の美術愛好家の認識や視覚的習慣を変えること、そして日出ずる国の現代美術への関心を高めることである。²³

 以上から、日本の芸術家・池谷友秀が近年、その写真作品を通じて国際的な現代美術の舞台に確かな位置を築いてきたと結論づけることができる。この10年間に獲得した数多くの受賞、そして日本、ベルリン、パリ、ニューヨークでの展覧会やアートフェアへの参加がそれを証明している。
また、新進の作家であるにもかかわらず、彼の写真がその独自性と際立った質によって抜きん出ていることも明らかである。本研究によって私たちは、日本の芸術家・池谷友秀の見事で、そして不穏な作品世界に潜り込み、この日本の写真家の作品をスペイン国内の美術界に近づけることを目指した。
 三つ目のシリーズが《BREATH(息)》である〔原文は「三つのうち最も新しい」。実際には《WAVE》の続編として2008年に始まり、《MOON》(2011年~)より先行する。訳注B〕。このシリーズにより、池谷は2008年のPX3「WATER」コンペティション佳作、2009年のインターナショナル・フォトグラフィー・アワード(ピープル〔その他〕部門第1位、スペシャル〔ムービング・イメージ〕部門第2位)、2010年のXto Image Award(Body in Nature部門第1位)、2010年のPX3(ファインアート〔ヌード〕部門第2位)、そして2014年のモスクワ国際写真賞(写真集『BREATH』でブック〔ファインアート〕部門銅賞)を受けている。これらの作品は、私たち自身によって制御される人間の生命活動である「呼吸」に焦点を当てる(図7)。池谷は呼吸を可視化しようとし、水という環境のなかでそれを実現する。ある雑誌のインタビューで、彼はこの作品の重要性を次のように説明している。
「呼吸は私たちにとって不可欠なものです。生きているあいだ絶え間なく繰り返され、そして私たちは、呼吸が止まる時点を死とみなします。ふだん呼吸は目に見えず、私たちがそれを意識することはないのだと思います」。¹⁸ 無数の泡が、息をまったく鮮明に見せてくれる。
 同様に、水の下では、人間が生きるあいだにとる態度がはっきりと表れる。生きたいと願いそのために闘う者もいれば、目の前に現れるさまざまな状況に身をまかせる者もおり、ただ身を投げ出してしまう者もいる(Mur, 2017)。あるインタビューで、作家は私たちにこう語った。「人は生きるあいだに、あらゆる種類の問題に出会います。たとえ誰かが、自分の手で何かをすることを妨げている壁を打ち壊したとしても、それで私たち自身の限界の根本的な本質が変わるわけではありません。そうした限界もまた、『生きる』ことの一部なのです」。¹⁹
 こうした成果を得るために、作家は日本の舞台芸術、とりわけ暗黒舞踏²⁰を援用している。そのため、彼のモデルの何人かは、状況を極限的なかたちで表現しようとするこの現代舞踊のダンサーである(Beville, 2010)。それゆえ写真には、きわめて強い短縮法による身体、引き裂かれるような身振り、あるいはきわめて本能的な反応を見いだすことができる。モデルたちは人間の最も深い恐怖を明るみに出そうとする。被写体たちはこうした状況を限界ぎりぎりで生きる。水中に沈められているために、恐れがいっそう強く湧き上がるからである。とはいえ、人々のあいだに生じる反応はさまざまでありながら、彼の作品は、形態においても構図においても、計り知れない官能性と美しさに刻印されていることに変わりはない(図9)。
​​​​​​​ あわせて指摘しておくべきは、これら三つのシリーズのほかにも、池谷はファッションの世界にかかわる写真作品を手がけており、作品《Nude Jewelry》によって2009年のインターナショナル・フォトグラフィー・アワード広告-カタログ部門で第2位を受賞したこと〔原文は「Nude Jewelry賞」。訳注E〕、またTrusTrickなど日本の音楽グループのミュージックビデオも制作していることである。
現在、池谷友秀は東京のギャラリー小暮²¹とミュンヘンのMicheko Galerie²²に所属している。いずれも日本の現代作家を専門とするギャラリーである(所属作家の90%以上)。後者はさらに、21世紀の日本美術とヨーロッパのコレクターとの架け橋になることを基本理念としている。その目標は、日本国外の美術愛好家の認識や視覚的習慣を変えること、そして日出ずる国の現代美術への関心を高めることである。²³

 以上から、日本の芸術家・池谷友秀が近年、その写真作品を通じて国際的な現代美術の舞台に確かな位置を築いてきたと結論づけることができる。この10年間に獲得した数多くの受賞、そして日本、ベルリン、パリ、ニューヨークでの展覧会やアートフェアへの参加がそれを証明している。
また、新進の作家であるにもかかわらず、彼の写真がその独自性と際立った質によって抜きん出ていることも明らかである。本研究によって私たちは、日本の芸術家・池谷友秀の見事で、そして不穏な作品世界に潜り込み、この日本の写真家の作品をスペイン国内の美術界に近づけることを目指した。
Bibliography
BEVILLE, Ry (2010), "Breath: an Interview with Ikeya Tomohide", Koe magazine, Japan, 7, March 20, 2010. http://www.koemagazine.com/2010/03/ikeya-tomohide/ [01/04/18].
GALÁN, Fernando (2008), "Jun Nguyen Hatsushiba", in VV. AA., Miradas críticas en torno a la colección del MUSAC, Castilla y León, MUSAC.
IKEDA, Manabu (2008), Ikeda Manabu - The Pen, Kyoto, Seigensha Art Publishing.
IKEYA, Tomohide (2013), Breath, Japan, Libro Arte.
NAKAZAWA, Hideki (2014), Art History: Japan 1945-2014, Tokyo, Museum of Contemporary Art of Tokyo Bigakko.
MUNROE, Alexandra (1994), Japanese Art After 1945. Scream Against The Sky, New York, Harry N. Abrams.
MUNROE, Alexandra (2013), Gutai: Splendid playground, New York, The Solomon R. Guggenheim Foundation.
MUR, Jorge (2017), "Tomohide Ikeya, respiración bajo el agua", Culturamas, Madrid, 2017. http://www.culturamas.es/blog/2017/06/05/tomohide-ikeya-respiracion-bajo-el-agua/ [01/04/18].
TOSAS, Gina (2017), "La tragedia de ingerir mercurio", La Vanguardia, Barcelona, October 1, 2017. http://www.lavanguardia.com/internacional/20171001/431638690465/historia-anonima-enfermos-mercurio-minamata.html [01/04/18].
1.  I would like to express my sincere gratitude to artist Tomohide Ikeya, as well as to Keiko Tanaka and Michele Vitucci, directors of the German gallery Micheko (which represents the Japanese author), for their collaboration in this research article, which has been fundamental. ↩

2. The date of 1945 marked a before and after in the history of Japan and similarly occurred in the arts. In the post-war period, Japanese art took a turn with respect to the type of art practiced until then, giving rise to a production very representative of the moment. The artistic languages of Japanese authors would be equated with the art produced in the international scene. An example is Sadamasa Motonaga (Mie Prefecture, 1922 - Kobe, 2011), who in 1956 participated with "Work Water" in the Gutai group's15 outdoor art exhibition, held in a park in Ashiya, Japan. ↩

3. This work can be consulted on the artist's website https://www.sugimotohiroshi.com/seascapes-1. Sugimoto captures these primordial landscapes from different points on the planet, transmitting the quietude and spirituality of Zen. His very conceptual photographs attempt to capture the essence of nature. ↩

4. This work can be consulted on the artist's website https://tatsuomiyajima.com. He filled the floor of the main room with water and placed LED devices inside that count from 1 to 9. He invited 125 local residents to participate in this project; they had to adjust the speed of each counter as they wished. The message this work tries to convey is clear: time connects us all, and in the same way, so does water. ↩

5.  In the fifties, a chemical plant discharged, for years, thousands of residues into the sea that contained methylmercury, a derivative of mercury that causes serious brain damage and alterations in the nervous system. This work symbolically references the contamination of the Japanese town of Minamata, highlighting the importance of local folklore as well as the consequences of progress. At the same time, in this case as in others, water serves to establish a geographical relationship between different countries and cultures. The artist himself connects his Japanese and Vietnamese roots through the sea. ↩

6. The artist's website can be consulted at: http://tomohide-ikeya.com. Born in 1974 in this relatively small prefecture, located in the southwest corner of the Kanto plain on Honshu Island (between Tokyo and Mount Fuji) and bordered by the sea, it is not surprising to assume the artist's proximity to water and to the different environmental phenomena that occur there. ↩

7.  The artist recognizes that he was considerably marked by the anime of Hayao Miyazaki (Nausicaä of the Valley of the Wind) and Rumiko Takahashi (Mermaid Forest). Information provided by artist Tomohide Ikeya through a telematic interview. In the 1990s, he worked in hospitality, specifically in an Italian restaurant in Japan.16 ↩

8.  Japan Foundation in Mexico, Katsuji Takasaki: http://www.fjmex.org/v2/site/nota.php?id=2378sc=31 With him, Ikeya perfected his camera handling and lighting techniques, mainly the technical part. However, a year later, a specific event made Ikeya reconsider his professional career. ↩

9.    Can be consulted at https://www.enkil.org/2011/10/18/tomohide-ikeya-agua-y-cuerpo. In the photographs belonging to this set, this struggle between human and water appears. In this case, man is a blockage, an obstacle that does not let the sea follow its course, but at the same time wants to be part of nature: resistance and integration. This series could be interpreted as follows: human beings try to face daily the problems that present themselves in their lives and, in some cases, are overwhelmed by them. We could say it is a metaphor for the violence individuals suffer in society.17 ↩

10.   Can be consulted at https://www.enkil.org/2011/10/18/tomohide-ikeya-agua-y-cuerpo. Unlike the previous series, these photographs transmit an immense silence, producing an unsettling sensation in the viewer. ↩

11. http://www.micheko.com/kuenstler/tomohide-ikeya. These works focus on breathing, a vital activity of human beings that is controlled by ourselves. Ikeya seeks to make breathing visible and achieves it in the aquatic medium. In an interview, he explained the importance of this work: "Breathing is indispensable for us; it is repeated continuously during our life, and we consider death as the point at which breathing stops. Normally, breathing is invisible, and I think we are never aware of it."18 ↩

12. Ankoku Butoh, or dance of darkness, is an eclectic genre that combines dance, body expression, and performance. It emerged in Japan after World War II in reaction to the atomic bombs of Hiroshima and Nagasaki. ↩

13. Gallery Kogure, website: http://www.gallerykogure.com/index.html. ↩

14. Micheko Gallerie, website: https://www.micheko.com. The latter, moreover, is based on the premise of being a bridge between 21st-century Japanese art and European collectors. Its objectives are to change the perception, the visual habits, of art enthusiasts outside Japan, as well as to increase awareness about contemporary art from the Land of the Rising Sun.19 ↩

15. The artistic group Gutai Bijutsu Kyokai was founded in 1954 by Jiro Yoshihara (Osaka, 1905 - Ashiya, 1972) and dissolved upon his death. This movement, which emerged in the Kansai region (Osaka, Kobe, and Kyoto) and which included such relevant creators as Sadamasa Motonaga, Shozo Shimamoto, Saburo Murakami, Kazuo Shiraga, Toshio Yoshida, Akira Kanayama, and Atsuko Tanaka, among others, opted for new forms of creation and reflected post-war Japan (marked by its defeat in World War II) through different artistic manifestations, highlighting their performances, happenings, installations, experimental films, or concrete music. It was an installation composed of a series of vinyl sheets filled with colored water. Originally hung between trees in the park like hammocks, gravity caused the vinyl to curve, allowing the water to gather at the bottom. Simultaneously, sunlight hit the compound, which changed throughout the day and resembled hanging jewels. ↩

16. Ibid. In 2001, he decided to train as a photographer and began studying this discipline at 東京綜合写真専門学校 (Tokyo Sōgō Shashin Senmon-Gakkō) or Tokyo College of Photography.20 ↩

17. Can be consulted at http://www.rafaelroa.net/tomohide-ikeya. Likewise, there are other factors that allow resisting or desisting in the face of these 'waves' or obstacles, such as the strength or weakness of each one, the emotional state, gender, or age. ↩

18. http://elhurgador.blogspot.com.es/2015/05/fotografos-japoneses-viii-tomohide-ikeya.html. An infinite number of bubbles allows us to see the breath with total clarity. Equally, underwater, the attitude of human beings during their lives becomes evident: some have the desire to live and fight for it, others let themselves be carried away by the different situations that present themselves, and some simply abandon themselves. In an interview, the artist told us: "People encounter all kinds of problems during their lives. Even if someone breaks down a barrier that prevents them from doing something with their own hands, this will not change the fundamental essence of our own limitations. These limitations, too, are part of 'living'."21 ↩

19. Information provided by artist Michele Vitucci, director of Micheko Gallerie, through a telematic interview. ↩

20. The Tokyo College of Photography was established in Nakano (Tokyo), in 1958, as the Tokyo Photographic School. In the sixties, it moved to Hiyoshi (Yokohama), where it is currently located. See the website http://tcp.ac.jp We should remember that contemporary Japanese photography is very recognized worldwide for bringing together great photographers of the 20th and 21st centuries such as Shomei Tomatsu, Eikoh Hosoe, Daido Moriyama, and Nobuyoshi Araki, among others. For this reason, it is not surprising that many Japanese are interested in this medium. The artist was able to delve deeper into this discipline and gradually became acquainted with other Western authors such as Irving Penn, Richard Avedon, Nick Knight, and Peter Lindbergh, whom he admires and is aware of the mark they have left on his work.22 ↩

21. Information provided by artist Tomohide Ikeya through a telematic interview. ↩
22. Information provided by artist Tomohide Ikeya through a telematic interview. ↩
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